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福岡高等裁判所 平成9年(ネ)821号 判決

控訴人

甲野和子

外一名

右両名訴訟代理人弁護士

小宮学

小宮和彦

被控訴人

東京海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役

高階信弘

被控訴人

アメリカン・ホーム・アシュアランス・カンパニー

右日本における代表者

横山隆美

右両名訴訟代理人弁護士

月見恭

主文

一  原判決を取り消す。

二1  被控訴人東京海上火災保険株式会社は、控訴人各自に対し、それぞれ一〇〇〇万円及びこれに対する平成七年五月二三日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

2  被控訴人アメリカン・ホーム・アシュアランス・カンパニーは、控訴人各自に対し、それぞれ一二五〇万円及びこれに対する平成七年七月一一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

3  控訴人らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

四  この判決の第二項1、2は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人東京海上火災保険株式会社は、控訴人各自に対し、それぞれ一〇〇〇万円及びこれに対する平成六年八月一八日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

3  被控訴人アメリカン・ホーム・アシュアランス・カンパニーは、控訴人各自に対し、それぞれ一二五〇万円及びこれに対する平成六年八月一八日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

5  仮執行の宣言

二  控訴の趣旨に対する答弁

1  本件控訴をいずれも棄却する。

2  控訴費用は控訴人らの負担とする。

第二  事案の概要

本件事案の概要は、次のとおり補正するほかは、原判決二枚目表三行目から八枚目裏九行目までに記載のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決二枚目表三行目冒頭の「本件は、」の次に「搭乗していた」を加え、四行目の「右死亡は」から五行目までを「右死亡に基づき、保険金の支払を求めた事案である。」と改める。

二  同三枚目表五行目の「新浜」を「新浜町」と、末行の「自動車損害賠償法」を「自動車損害賠償保障法」とそれぞれ改める。

三  同四枚目表一三行目の「それぞれの同第一項」を「右各項」と改める。

四  同四枚目裏七行目の「同項第三号」の次に「の」を加え、一〇行目の「本件の」から一一行目までを「関係各保険約款上の保険金支払責任の発生要件である『急激かつ偶然な外来の事故』と保険金を支払わない事由として掲げられた『故意』、『自殺行為』との関係及びその主張・立証責任の所在」と改め、末行の「以上、」を削る。

五  同五枚目表八行目の「原告において立証」を「控訴人らにおいて主張・立証」と改める。

六  同五枚目裏五行目の「原告」を「控訴人ら」と、七行目の「自殺行為によるものではないか。」を「自殺(故意)行為によるものか否か。」と、九行目の「(亡太郎の健康状態)」を「亡太郎の健康状態」とそれぞれ改める。

七  同六枚目表二行目の「(亡太郎の経済状態)」を「亡太郎の経済状態」と改める。

八  同六枚目裏一一行目の「傷害の」を「傷害を負った」と、一二行目の「保証」を「保障」とそれぞれ改め、末行の「五万八二四八円」の次に「余り」を加える。

九  同七枚目表二行目の「一億円」を「九五六〇万円」と改め、「異常ではない。」の次に「なお、この金額は、災害死亡時の保険金の合計額であり、病死など普通死亡時の保険金総額は三一〇〇万円である。」を加え、一三行目の「頭より」を「車両前部から」と改め、末行の「自動車は」の前に「運転していた」を加える。

一〇  同七枚目裏三行目の「とか考えられる。」を「可能性が強い。」と、四行目の「被告の主張」を「被控訴人らの主張」と、六行目から七行目にかけての「直角に岸壁に向かって」を「岸壁に向かって直角に」と、一一行目の「滑る」を「滑走する」とそれぞれ改める。

一一  同八枚目表二行目の「かけていない速度及び転落状況である、」を「かけたとは考えられない速度及び転落状況である。」と、三行目の「浮かんでいる時間」を「浮かんでいる間の時間的余裕」と、五行目の「等」を「こと」とそれぞれ改め、一一行目の「自殺の」の前に「亡太郎の」を加える。

一二  同八枚目裏七行目の「続けていた。」の次に改行して「 また、平成六年七月五日には、柳田睦雄(以下「柳田」という。)を契約者兼受取人、亡剛を被保険者として、富士火災海上保険株式会社の積立家族傷害・積立普通傷害保険契約が締結されている。右契約は、柳田を亡太郎の雇い主とするなど事実に反し、入院給付金を排除するなど不自然な内容であることからすれば、亡太郎が柳田に債務を負っていたものと推測され、自殺によってこれを清算しようとしたものと考えられる。」を加える。

第三  証拠

証拠関係は、原審及び当審記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

第四  当裁判所の判断

一  争点1(関係各保険約款上の保険金支払責任の発生要件である「急激かつ偶然な外来の事故」と保険金を支払わない事由として掲げられた「故意」、「自殺行為」との関係及びその主張・立証責任の所在)について

当裁判所も、保険金請求者である控訴人らにおいて、保険金請求権の発生原因事実である「急激かつ偶然な外来の事故」の主張・立証責任を負担するものと解する。そして、被保険者の「故意」や「自殺行為」は、右事故の偶然性と両立し得ない事実であることに照らせば、結局、控訴人らにおいて、亡太郎の死が自殺によるものではなかったことを主張・立証しなければならないものと判断するが、その理由は、次のとおり補正するほかは、原判決八枚目裏一三行目から一一枚目表一一行目までに記載のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決九枚目表一行目から二行目の「自動車損害賠償法」を「自動車損害賠償保障法」と改め、一二行目及び末行の「係り」をいずれも「つき」と改める。

2  同九枚目裏二行目の「各」を「それぞれ」と、二行目から三行目の「それぞれの同第一項」を「右各項」とそれぞれ改め、一〇行目及び一二行目の「係り」をいずれも「つき」と改める。

3  同一〇枚目表四行目の「身体傷害の原因としての」を削り、五行目の「その傷害事故」を「当該事故」と、六行目の「死亡などの結果等」を「傷害、死亡」とそれぞれ改める。

4  同一〇枚目裏六行目の「満たさない」の次に「ためもともと責任を負わない」を加え、七行目の「なお、」から一〇行目までを「なお免責とされる場合の具体例を一括して列挙したものと解される。そして、前者については、保険金請求者の側でその不存在を主張・立証しなければならないが、後者については、本来保険会社が保険金の支払義務を負担すべきところ、特に約款で定められた免責条項によって例外的に責を免れるのであるから、保険会社の側で、当該事実の存在につき主張・立証責任を負うものと解するのが相当である。したがって、右具体例として掲げられた各事由については、保険事故の要件と両立し得るかどうか、本来保険金を支払うべきであるにもかかわらず例外的に保険会社の責任を免除する趣旨のものであるかなどといった観点から、個々の事由の性格を考慮し、その主張・立証責任の所在を判断すべきであって、そのすべてにつき保険会社である被控訴人らが主張・立証責任を負うと考えることはできない。」と改め、一二行目の「(」及び一三行目の「)」をいずれも削る。

二  争点2(亡太郎の死亡は、自殺(故意)行為によるものか否か)について

1  前記当事者間に争いのない事実、甲第一号証、第三号証の一ないし一〇、第四号証の一、二、第五号証、第六号証の一、二、第七号証、第八号証の一、二、第一〇号証、第一二号証、第一四号証、乙第一ないし第一二号証、第一四号証、第二五ないし第二八号証、原審証人井上廣次の証言、原審及び当審での控訴人甲野和子の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 亡太郎は、昭和四九年二月に控訴人甲野和子(以下「控訴人和子」という。)と婚姻し、東京都内に居住して働いていた。同年九月、亡太郎と控訴人和子の間に控訴人甲野歩(以下「控訴人歩」という。)が出生した。亡太郎は、昭和五三、四年ころ、控訴人らと共に郷里の福岡県飯塚市に戻り、約一年間タクシーの運転手をした後、同市内で麻雀荘を開店した。そして、八年間ほど右麻雀荘を経営した後、控訴人和子と共に約一年間スナックを営んだが、その後再び麻雀荘を開店し、さらに、平成四年ころ、飯塚市の新飯塚駅付近に建物を借りて移転し、麻雀荘の経営を続けた。

右麻雀荘は、午前一〇時に開店し、翌日午前零時に閉店するものとされていたが、客の入り具合によっては、翌朝まで営業を続けることもあった。店の管理は、主に亡太郎が当たり、フリーの客が来て、人数が足りないときには、ゲームに加わることもあった。控訴人和子は、毎日午後二時ころから来店していたが、麻雀ができないため、電話番やお茶くみなどの手伝いをする程度であった。

(二) 亡太郎には、糖尿病の持病があり、平成六年一月三一日、運動と食事療法を行うため、飯塚市内の内科医院に入院したが、右入院中C型肝炎に罹患していることが明らかになったため、その治療も受け、C型肝炎が軽快した同年五月一六日に右医院を退院した。なお、亡太郎は、右入院中も、しばしば自宅に戻っていた。

亡太郎は、仕事柄退院後も不規則な生活を送っていたが、通院して医師の治療を受けたり、薬を飲んだりしてはいなかった。

(三) 亡太郎は、退院後毎日麻雀荘で働いていたが、平成六年八月一七日午前一〇時ころ自宅を出て、同日午前一〇時三〇分ころ、前記麻雀荘から自宅の控訴人和子に電話をかけ、「セットの客が来て、麻雀をしている。」などと告げたが、手伝いに行くとの控訴人和子の申出は断った。

(四) 亡太郎は、前記のとおり、同日午後零時五五分ころ、福岡県京都郡苅田町新浜町〈番地略〉先において、搭乗していた自動車が海中に転落する事故(以下「本件事故」という。)に遭遇した。同日午後二時過ぎ、目撃者の通報を受けた福岡県行橋警察署の依頼により、苅田町消防本部の隊員が捜索した結果、岸壁から六メートルほど先の水深約七メートルの海中に車底部を上にした状態で沈んでいる車両が発見され、亡太郎は、クレーン車で車両ごと海中から引き上げられたが、既に死亡していた。医師の検案結果によれば、死因は溺死で、短時間のうちに死亡したものとされている。

本件事故の現場は、別紙図面記載のとおり、港湾の埠頭であり(なお、本件事故の発生場所は、同図面記載の箇所である。)、転落地点には、高さ及び幅が各一五センチメートル、長さ三メートルのコンクリート製の車止めが設けられていた。

また、引き上げられた亡太郎の搭乗車両は、フロントガラスが損壊し、ウィンドウガラスは、運転席側(右側)が全開、助手席側(左側)が三分の二ほど開いた状態であり、エンジンキーは「ON」に入り、レバーはニュートラルの位置にあった。そして、右車両の前部右側のバンパーやウィンカーが破損し、右側ドアに凹損が認められ、右側ドアはロックされていたが、左側ドアはロックされていなかった。

引き上げられたときの亡太郎の状態は、三点式シートベルトを装着し、右頬、口唇上部に切創が認められた。

なお、本件事故の当日は晴天であった。

(五) 控訴人和子は、警察からの電話で、亡太郎が海中に転落して死亡したことを聞かされ、控訴人歩と共に本件事故現場に駆け付けたが、到着したときには、亡太郎の遺体は既に行橋警察署に運び込まれていた。

(六) 亡太郎及び控訴人和子には、前記麻雀荘の営業資金の借入れなどにより、本件事故発生の時点で、亡太郎については飯塚信用金庫に対して五〇万四一七九円の負債があり、控訴人和子については同信用金庫に対して三一六万〇三八六円及び飯塚市商工観光課に対して二六五万八四四一円の負債があった。また、亡太郎は、本件事故前の二、三か月間、前記麻雀荘の家賃(月額一〇万円)を滞納していた。

(七) 亡太郎が被保険者とされた保険及び共済契約には、次のものがあるが、そのうち控訴人和子が契約者となっているものは(6)及び(7)であり、その余は亡太郎が契約者であった(なお、保険金額は災害死亡時の最高額であり、括弧内は普通死亡時の保険金額である。)。

(1) 平和生命保険株式会社・昭和六二年四月一日締結・保険金額一〇〇〇万円(五〇〇万円)・保険料月額一万一八〇〇円

(2) オリックス生命保険株式会社・平成元年五月一日締結・保険金額六〇万円(六〇万円)・保険料月額四六一四円

(3) 千代田生命保険相互会社・平成三年八月一日締結・保険金額一〇〇〇万円(一〇〇〇万円)・保険料月額一万二九三四円

(4) 全国生活協同組合連合会(福岡県民共済生活協同組合取扱)・平成四年一二月一日締結・共済金額一五〇〇万円(五四〇万円)・掛金月額三〇〇〇円

(5) 被控訴人東京海上・平成五年九月二四日締結・保険金額二〇〇〇万円(搭乗者傷害保険金を含む。)・保険料七万三三二〇円(全額)

(6) 郵政省(福岡簡易保険事務センター取扱)・平成六年六月八日効力発生・保険金額二〇〇〇万円(一〇〇〇万円)・保険料月額二万五九〇〇円

(7) 被控訴人アメリカン・ホーム・平成六年六月二三日締結・保険金額二五〇〇万円・保険料月類五六七〇円

右各契約のうち、被控訴人らの保険((5)、(7)及び(4)、(6)は、約款上亡太郎の死が自殺による場合には保険金等が支払われないものであったが、郵政省及び全国生活協同組合連合会は、調査を行った後、郵政省は一九九七万四一〇〇円の保険金を支払い、全国生活協同組合連合会は一三〇〇万円(本件事故現場が進入禁止の場所であったため、二〇〇万円が減額された。)の共済金を支払った。

2  右認定の事実関係に基づき、控訴人らの請求の当否について判断する。

(一) 本件事故の態様

(1) 被控訴人らは、本件事故の態様について、亡太郎運転車両が停車の状態から急発進し、海を左側に見ながら岸壁と平行に走行した後、急にハンドルを左に切って岸壁に向かって直角に走行し、車止めを乗り越えて海中に転落した旨を主張する。そして、損害保険リサーチセンター株式会社信調社が被控訴人東京海上に提出した平成六年一〇月一九日付け調査報告書(乙第一号証)には、右調査の担当者が本件事故処理に当たった行橋警察署の警察官井上廣次(以下「井上」という。)から、約三七メートル離れた地点から本件事故を目撃した者が右のとおり事故状況を語った旨を聴取したとの記載部分がある。

しかしながら、右記載内容の裏付けとなる証拠は皆無である。井上は、原審で証人として供述したが、目撃者の特定に関する事項や目撃者から聴取した内容については、目撃者に「迷惑をかけない」と約束している、もともと自らが直接体験した事実ではないとして、具体的な供述を拒否している。これに対し、簡易保険支払調査官が作成した同年一〇月一三日付け調査報告書(甲第五号証)には、行橋警察署からの事情聴取の内容として「自殺ではない。事故として取り扱っている(変死)」との記載があり、福岡県民共済の担当者が作成した調査報告書(同第三号証の四)には、同年九月一九日に行った行橋警察署での事情聴取の内容として「証言ではターンしているときに頭より転落」との記載がある。これらの記載は、前掲乙第一号証の記載と一致しない。また、前記認定の事実によれば、亡太郎の搭乗車両には、右前部ウィンカーや右側ドアに損傷があり、控訴人和子の原審及び当審での各本人尋問の結果によれば、右各損傷は、控訴人和子が知る限り以前にはなかったことが認められる。そして、行橋警察署の警察官が作成した写真撮影報告書(乙第二号証)には、右各損傷から亡太郎運転車両は右前部から海中に転落したものと思われる旨の記載があるが、右記載は、甲第三号証の四の右記載に符合する。

これらの状況に鑑みれば、本件事故の態様は、被控訴人らが主張するように、停車の状態から急発進し、海を左側に見ながら岸壁と平行に走行した後、急にハンドルを左に切って岸壁に向かって直角に走行し、車止めを乗り越えて海中に転落した、亡太郎の意思に基づくものであったと即断することはできない。亡太郎運転車両(オートマチック車)が海中から引き上げられた際、原因は不明であるがギアがニュートラルの位置に入っていたことなどの諸事情を併せ考えれば、例えば、控訴人ら主張のように、亡太郎が方向転回中に運転操作を誤って、転落した、亡太郎の意思に基づかないものであった可能性も十分にあり、結局、本件事故の態様は不明といわざるを得ない。

なお、乙第一三号証(鑑定書)には、毎時三〇ないし四〇キロメートルの速度で走行中の車両が高さ約一五センチメートルの縁石に四〇度程度の角度で乗り上げたときのタイヤのバースト率(リムと縁石にタイヤが挟まれて破損(破裂)する確率)が一〇〇パーセントであることを前提に、亡太郎運転車両のタイヤにはバースト痕がないことから推して、岸壁端に対して七〇ないし九〇度の角度で進行していたものと推測される旨の記載がある。しかしながら、右鑑定書に添付された亡太郎運転車両の写真は鮮明さに欠け、タイヤのバーストの有無は必ずしも明らかでないし、他にこの点を明らかにする証拠はない。さらに、その前提とされたバースト率についての具体的根拠が示されていないことに照らせば、右鑑定書の記載から、亡太郎運転車両が、岸壁端に対してほぼ直角の角度で進行したものと認定することはできない。また、乙第三一号証の鑑定書にも、本件事故が故意による飛び込みである旨の鑑定意見が記されているが、右鑑定は、右立論の前提として確定されていない事実や鑑定者の推測による部分が見受けられることから、直ちに採用することはできない。

(2) 被控訴人らは、本件事故当日は天気も良く、事故現場付近は視界も良好であったにもかかわらず、亡太郎運転車両は、ブレーキもかけずに海中に転落したことを根拠に、亡太郎の死が自殺であった旨を主張する。

確かに、前記認定のとおり、本件事故発生当日の天候は晴天であり、視界も良好であったものと思われる。そして、本件事故現場にブレーキ痕が残されていたことを窺わせる証拠はないが、そのことから直ちに亡太郎が制動をかけていなかったと断定することはできないし、前記のとおり本件事故の態様が具体的に明らかでない以上、右のような良好な自然的条件の下では通常発生しない事故であるとの一事をもって、本件事故が亡太郎の意思によるものかどうかを決することはできない。

(3) また、被控訴人らは、亡太郎が車外に脱出しようとした形跡がないことを根拠に、亡太郎が自殺したものである旨を主張する。

なるほど、亡太郎は、引き上げられたとき三点式シートベルトを装着したままであり、左右のドアウィンドは全開ないしは三分の二ほど開いた状態であったにもかかわらず、車外に脱出しようとしたことを窺知し得る証拠はない。しかしながら、右のような状況の車両が岸壁から転落して水深約七メートルの海底に反転するまでの間、どのような経緯を辿ったのかが具体的に明らかでない以上、脱出を試みることができる状態であったことを安易に認定して、脱出敢行の有無を詮索することは相当でないのみならず、前記認定の事実によれば、亡太郎運転車両は、前部右ウィンカーが破損し、フロントガラスも損壊しており、着水時に相当の衝撃があったことを推測することができ、亡太郎の顔面にも切創があったことからすれば、亡太郎が着水時の衝撃等により、意識を失うなどして車外への脱出を試みることができなかったことも十分考えられるし、左右のドアウィンドが開いており、フロントガラスが損壊したことによって、一気に海水が流入し、短時間のうちに車両が水没、反転したことも考えられるのであるから、右脱出の形跡がないことをもって、亡太郎の死が自殺によるものであるかどうかを決することはできない。

(4) 被控訴人らは、本件事故現場は、亡太郎が経営していた麻雀荘から自動車で一時間あるいは一時間三〇分ほどかかる距離であり、そのような場所にわざわざ赴いたのは、亡太郎に自殺の意図があったからである旨を主張する。

しかしながら、本件事故現場は、海釣りができる場所であり、亡太郎には、釣りの趣味があり、友人や控訴人和子と共に釣りに行ったり、また、本件自動車のトランクに釣り竿を入れていた(これらの事実は、原審及び当審における控訴人和子の各本人尋問によって認めることができる。)のであって、これらの事情に照らせば、亡太郎が本件事故現場に、釣りやその下見に出かけたとしても、決して不自然とはいえない。

(二) 亡太郎の健康状態

前記認定の事実によれば、亡太郎は、本件事故前の平成六年一月三一日から同年五月一六日まで三か月余りの期間入院していたのであるが、右経緯は、当初糖尿病による運動や食事療法のために入院した際に、C型肝炎に罹患していることが判明し、その治療を受けていたというものである。そして、亡太郎は、退院後も通院や投薬を受けていなかったし、食事制限もせず、不規則な生活をするなど、摂生に努めていたとはいえない。

しかしながら、亡太郎には、糖尿病について特段の病変が出ていたことが窺える事情はなく、C型肝炎にしても、入院時に罹患が明らかになったのであり、自覚症状もない程度であったことが推測できる。そして、亡太郎は、入院中もしばしば自宅に帰ってきていたこと、亡太郎が退院したのはC型肝炎が軽快したことによるものであったこと、医師が退院後の服薬や通院を指示した形跡もないことに照らせば、亡太郎の糖尿病やC型肝炎の病状は、それほど深刻な状態にあったということはできない。

確かに、糖尿病やC型肝炎は、いずれも難治性であり、慢性化しやすい疾病であるといえるが、右の諸事情に照らせば、本件事故前の亡太郎に関しては、亡太郎が自らの健康状態を苦にし、そのことを動機として、自殺を企て、本件事故を惹起したとは考え難い。

(三) 亡太郎の経済状態

被控訴人らは、亡太郎が前記入院による麻雀荘の業績の悪化や多額の負債があったこと、亡太郎が本件事故直前の四五〇〇万円を含めて合計一億〇〇六〇万円もの保険金等の支払を内容とする保険契約や共済契約を締結していたことから、亡太郎は、借財が嵩み、経済的に困窮していたところ、保険金等による清算を図り、自殺したものである旨を主張する。

しかしながら、亡太郎の負債は、控訴人和子名義の分を含めて六三〇万円余りに過ぎず、自営業者としては、それほど多額であるとはいえない。また、亡太郎は、本件事故直前のわずかな期間麻雀荘の家賃を滞納したことがある(原審及び当審における控訴人和子の各本人尋問の結果によれば、麻雀荘の大家とはこころやすい関係であり、大家からは特段の催促もなかったことが認められるところ、右事実によれば、亡太郎が家賃の支払にも事欠くほどの状態であったとはいえない。)ものの、飯塚信用金庫及び飯塚市商工観光課からの借入金の返済が滞ったことを認めるに足りる的確な証拠はないし、他に亡太郎が自らの生命と引換に清算を図らなければならないほどの経済的困窮状態にあったことが窺える事情は見当たらない。

さらに、保険等の加入状況についても、前記のとおり、亡太郎の入院後に契約を締結したのは、郵政省の簡易保険及び被控訴人アメリカン・ホームの本件保険だけであるが、このうち簡易保険は、普通死亡時の保険金が一〇〇〇万円、災害死亡時の特約保険金と合わせても二〇〇〇万円であって、入院を経験した亡太郎が将来万一の事態に備えたものとしては決して多額といえない。また、被控訴人アメリカン・ホームの保険は、ファミリー交通傷害保険と称する保険で、控訴人和子が自ら保険に加入するに当たり、新たに運転免許を取得した控訴人歩にも保障が及ぶように配慮して契約を締結したもので、亡太郎の判断に基づくものではない。さらに、被控訴人東京海上の保険は、控訴人和子が契約した自家用自動車保険(任意保険)であって、亡太郎に対する保険金は、右保険に付帯する自損事故条項、搭乗者傷害条項に基づくものにすぎない。加えて、亡太郎が被保険者となる保険は、災害死亡時の死亡保険金の合計こそは九五六〇万円であるが、病死等より発生の可能性が高い普通死亡時の死亡保険金総額は三一〇〇万円で、亡太郎が給与所得者のような保障のない自営業者であることを考えれば、不相当な金額ではない。

また、亡太郎や控訴人和子が支払っていた保険料も、月額六、七万円程度であって、若干高額の感は免れないが、著しく不相当とまではいえない。

右の諸事情を考慮すれば、亡太郎が本件事故前に経済的に困窮していたとはいえないし、ましてや、死亡時に支給される保険金によって借財を清算する目的で自殺を企てたとは考えられない。

なお、乙第三〇号証によれば、平成六年七月五日に契約者及び保険金受取人を柳田とし、亡太郎を被保険者とする富士火災海上保険株式会社の積立家族傷害・積立普通傷害保険契約が締結されていることが認められ、被控訴人らは、この点を指摘して、亡太郎には柳田に対する負債があり、自殺することによって、右負債を清算しようとした旨を主張する。しかしながら、甲第一五号証によれば、柳田は、亡太郎の友人であり、保険会社の担当者から右保険の勧誘を受け、利殖の目的で、亡太郎の了解を得て、これを締結したことが認められる。したがって、被控訴人らの前記主張は、単なる憶測にすぎないといわなければならず、採用することはできない。

3 右判示のとおり、本件事故の態様は明らかでなく、事故態様から本件事故が亡太郎の自殺(故意行為)又は不慮の事故のいずれであったかを確定することはできない。

しかし、亡太郎には、健康上、あるいは経済上自殺の動機となり得る事情が見当たらない上、控訴人らとの間での夫婦関係や親子関係など、家庭生活における葛藤が存在したことも窺えない。さらに、本件事故当日やそれ以前において、亡太郎には自殺を疑わしめる言動はなく、遺書が残された形跡もないこと考え併せれば、亡太郎が自殺を敢行すべき理由を見出すことはできず、したがって、亡太郎運転車両の転落は、事故によるものであったと推認すべきである。

二 よって、亡太郎は、急激かつ偶然な外来の事故によって死亡したというべきであり、右剛の死は、亡太郎の故意や自殺行為によって生じたものとはいえないから、被控訴人らは、前記各保険契約に基づき、約定の保険金を亡太郎の相続人に支払う義務を免れない。

三  そして、甲第二号証によれば、亡太郎の相続人は、妻の控訴人和子及び長女の控訴人歩だけであることが認められ、その相続分は、各二分の一であるから、被控訴人らの控訴人ら各自に対して支払うべき保険金の金額は、被控訴人東京海上については一〇〇〇万円、被控訴人アメリカン・ホームについては一二五〇万円である。

なお、控訴人らは、亡太郎が死亡した日の翌日以降の遅延損害金の支払を求めているが、被控訴人らの保険金支払債務の弁済期についての主張、立証はない。しかし、本件に顕れた経緯によれば、遅くとも、訴状送達の日の翌日には遅滞に陥ったというべきであり、記録によれば、被控訴人らに対する訴状送達の日は、被控訴人東京海上については平成七年五月二二日、被控訴人アメリカン・ホームについては同年七月一〇日であることが明らかである。したがって、控訴人らの遅延損害金の支払請求は、右各送達日の翌日以降の分については理由があり、その余は失当というべきである。

第五  結語

以上の次第で、控訴人らの本件請求は、被控訴人東京海上に対して各一〇〇〇万円、被控訴人アメリカン・ホームに対して各一二五〇万円の保険金並びにこれらの金員に対する被控訴人東京海上については平成七年五月二三日から、被控訴人アメリカン・ホームについては同年七月一一日から、それぞれ商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で認容し、その余の請求を棄却すべきであるところ、これを全部棄却した原判決は失当である。

よって、原判決を取り消し、被控訴人らに右の限度で金員の支払を命ずることとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小長光馨一 裁判官小山邦和 裁判官長久保尚善)

別紙〈省略〉

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